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機関車・食堂車・寝台車 [鉄道本]
ステーションビル MI DO RI に見出すもの [JITOZU_施設]
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写真には、松本駅におけるE127系の勇姿である。このE127系は、1995年の誕生から現在まで、なかなか興味深い歴史を歩んでいる。
その辺りのことは別途取り上げるとして、
私が、今回、注目したのがMI DO RIである。
作者は、なぜこの構図を選んだのか?
もしかすると、1番線に留まるE351系を入れたかったのかも知れない。
いや、意図的にMI DO RIを入れたのでは。
だとすると、松本、長野に思い入れのある方だ。なぜならばステーションビルMI DO RIは、両駅の利用者にとって、馴染みの存在だからだ。
かく言う私も、長野を訪れる度に、MI DO RIをふらついてしまう。
MI DO RI長野店は、先代の駅舎の頃からあり、個人的に馴染み深い長野駅の当時の記憶が微かに蘇るからだ。
この写真の奥のビルがMI DO RI である。
何処と無く、駅舎と調和して見える。
随分と隅に、追いやられてしまい、もはやステーションビルの風格は薄い。
それでも、お土産コーナーは、当地にを知り尽くしているかのごとく銘品が並ぶ。
と言うことで、私がお勧めしたいのは、MI DO RIのお土産コーナーです。
ちなみに、同グループ経営の、軽井沢駅内、名産名店プリムローズもお勧めです。
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青函連絡船 ものがたり [JITOZU_施設]
参照map
写真は、青森にて保存されているメモリアルシップ八甲田丸の勇姿である。
車両渡船として甲板に鉄道車両を積み込むアプローチが、よく分かる写真だ。よくぞ、保存してくれた!と思わせる構図だ。というのも、青函連絡船は、鉄道車両と乗客を同時に運ぶ船という世界にも稀に見るシステムで運航されていた。そのため、様々な苦労と工夫の上で運航されていたそうだ。
その歴史については、坂本幸四郎著、青函連絡船ものがたりに詳しい。本書では、乗組員だった著者が、膨大な資料を元に連絡船の歴史を紐解き語った本だ。
特に連絡船史上最大の事故となった洞爺丸台風による事故の検証は、当事者として生々しく語るも、船員の努力と判断の正当性を主張する。
また、著者の業務は通信関係であるためか、車両の話が少なく車両好きには残念だが、青函連絡船の存在を後世に残すという役割は存分に果たしている。
私は、残念ながら青函連絡船に乗ることはできなかった。しかし、同時に廃止となった宇高連絡船には、乗ることが叶った。
この旅と鉄道1988年冬の号は、当時、記念に購入したものである。青函連絡船のくだりには、廃止を残念に感じ乗船した青森の人々の話が掲載されている。
青函連絡船ものがたりの末章にも、青森の人々にも愛されたとあり感慨深い。
今は、新幹線の通過点でしかない青森も、当時は交通の要所であり、そのことが、青森人の誇りであったことが伺い知ることができる。
鉄道が作る文化とは、こういうことなのだと思う。